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5泊6日を共にした旅の仲間たち
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短いようで長かった5泊6日の中国の旅。記者にとって一番大きな財産となったのは「出会い」だ。旅をともにした飯田下伊那のみなさんとの出会い、現地で世話になった中国人や内モンゴルの人たちとの出会い。全ては書ききれないが、その一部を紹介したいと思う。
訪中団のメンバーは、私を含む18人。飯田日中友好協会の会員もいれば、一般の参加者もいた。その多くが中国と深い関わりを持ち、交流や支援を続けている人たちだった。
公式訪問で通訳を務め、私の取材活動にも協力して下さった訪中団副秘書長の勝野憲治さん(73)=飯田市松尾=は、12歳の時に満州で終戦を迎え、農業を営みながら41歳になるまで現地で暮らした帰国者。現在は長野県中国帰国者自立研修センターで働き、帰国者やその家族の支援を行っている。
旅先では「日本人には聞こえない中国人の陰口が耳に入り、悲しくなった」と語っていたが、両国で暮らした勝野さんの言葉だけに、重たい気持ちにさせられた。「まさか戦争を生き残り、内モンゴルまで行って植林するとは夢にも思わなかった」という言葉は忘れられない。
妻、穂波さん(70)と参加した唐沢徳さん(73)=豊丘村神稲=も12歳の時に満州で終戦を迎えた。収容所で流行したチフスで母親、兄弟を失い、9カ月ほど現地の人の世話になったという。子ども心に中国語を話せなければならないと感じ、必死に覚えたという。60年経ったいま、言葉はもう分からなくなっている。そのことを「中国に来ても、今度は中国語を忘れてしまったから何にもならない」と笑って話していたが、あの笑顔にたどりつくまでにどれほどの悲しみや苦しみを乗り越えたのだろうかと思うと、返す言葉が浮かばなかった。
最年長の小木曽弘司さん(82)=同市駄科=も満州から出兵し、シベリア抑留を経て帰国した経験を持つ。残留孤児の受け入れをはじめた60歳で中国語の勉強を本格的にはじめた。中平章さん(73)=松川町元大島=も、中国人留学生の受け入れを続けている。言葉を勉強し、繰り返し渡航しては中国のことを学んでいる。
私にとっては遠い国でしかなかった中国。その国を第2の母国、あるいは隣国として、交流を深める人たちがたくさんいる。飯伊にとっての中国は、本当に身近な国なのかもしれない。
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帰国の途、飛行機から北京郊外の街を写す
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現地で出会った人たちの中で、まだ紹介していない人たちのことも書こうと思う。照日格さん(29)は内モンゴルでの2日間を共にした内蒙古日報社の記者だ。同年で同じ職業ということもあり、目には見えない友情のようなものが生まれた。
カメラを見せ合ったり、互いの新聞を交換したり。身振り手振りで仕事の様子を説明しあった。
締め切り時刻は本紙と同じように昼を回った頃とのことで、植林の様子を取材すると慌てて帰って行った。日本も内モンゴルも、時間に追われる記者の仕事は同じだ。「載ったものを送ってほしい」とお願いすると、「私たちにも(南信州)を送ってくれ」と。後日、佐々木ハスゲレルさんが彼の原稿が載った紙面を届けてくれた。もちろん私も、この記事を送るつもりだ。
本連載に何度か登場した、中国国際旅行社の李さんは、昨年まで半年間にわたって仙台市で研修していたこともあり、日本人の心を十分に理解していた。社内アナウンスでも観光地での説明も、日本人の耳に障る言葉は一言も発しなかった。
帰国の直前、飯田はどんな所か尋ねられたから「北京ほど都会ではないけれど、緑が溢れていて、みんなのんびり暮らしているところです」と答えた。「まるで桃源郷のようなところですね」と彼。誉められすぎだとは思ったが、あの黄土地帯を思い出し、妙に納得してしまった。
× ×
連載の最後に、陳さんとの再会について触れたい。南信州新聞社で研修し、昨春に帰国した北京周報社の記者だ。我々の訪中を聞きつけ、北京市内のレストランに駆けつけてくれた。
「再会(ツァイチェン)、今度は北京で会いましょう」と約束して1年前に別れたのだから、実現して何とも感慨深かった。夕食を共にした後、陳さんの案内で北京の繁華街、王府井(ワンフーチン)を歩いた。
会社では机を並べ、毎日話していたから、1年分の話題がある。飯田のこと、会社のこと、個人的なこと、さまざまな話をした。
「飯田は私の第二の古里。行きたくてたまらなくなる時がある」。そう何度もなんども。「今度は飯田か北京で、また会いましょう」。そう別れたのだけれど、その日はきっと来るだろう。
過去の侵略の歴史、言葉の壁、主義の違いなど、両国の間には友好を邪魔するいくつもの障壁がある。それでも、陳さんや李さんのような、日本に対する理解の深い中国人、訪中団のように中国を愛し、知ろうとする人がいることを知り、両国関係の将来像に期待が持てた。内モンゴルの植林によって生まれた森のように、日中両国の友好の芽が伸び、いつか大きな実を結ぶことを願っている。謝謝。(佐々木崇雅)
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