検証!田中県政B
−県南の視点
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県民立脚の姿勢貫く
議会との対立構造変わらず
 田中康夫知事の政治家としての姿勢を特徴づけるのが、県民の声に耳を傾ける姿だ。この6年間、全県各地で開いた車座集会の数は50回余、知事と膝を付き合わせた県民は延べ1万5000人を超える。

 飯田下伊那地方でも阿南町、飯田市、喬木村、松川町、平谷村、旧南信濃村、旧浪合村、高森町、大鹿村、天龍村で開催し、約3000人の地域住民が地元の課題をめぐって知事と意見を交わした。

 車座集会で、ようこそ知事室で、ホットラインで、弱者の声をすくい上げ、政策に直結させた。特に自ら重点施策に掲げる福祉医療・環境・教育分野では素早い対応も見せた。

 飯田養護学校や療育センターへの訪問看護師派遣や、飯田市立丸山小学校への難聴児学級、同市立追手町小学校への視聴覚障害児学級設置は、数十年来の地域の懇願を即座に実現させた。

 その姿勢を松島貞治・泰阜村長は「政治家に必要な庶民感覚を持っている」、平安堂の平野稔・会長は「軸足を個人に置いて、日々の暮らしに着目している」と評価する。

 「トップダウンの色彩を強める」「大局的な判断に欠く」と一部の県議から批判を受けたこともあるが、県民にとって、特に飯伊の住民にとって、遠い存在だった県政を身近なものにした点で大きな成果を挙げた。

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 一方で、議会の主張に耳を貸さない姿が、幾度となくマスコミに取り上げられている。

 02年の不信任決議と再選でリセットしたはずの県議会との関係は再び悪化し、対立の構図は年を追うごとに顕著になっている。

 議会との不和は、知事の掲げた「創る」を停滞させた。予算や人事案、条例案など知事が提出した議案を議会が修正、否決した例は30件を超えた。田中知事就任前の41年間は1度もなかった異常の事態だ。

 知事は、議会との馴れ合い的な関係を嫌う向きがある。県民立脚の姿勢を貫こうとするあまりか、知事を支持したのと同じ県民が選んだ議会の意向をおざなりにした感は否めない。

 一方の議会も、一部を除いてオール野党的な陣営を形成し、「是々非々」とは裏腹な「非々非々」的姿勢を見せ続けた。県議会は「正常に議会が機能している証拠」と主張するが、百条委員会とそれに続く知事告発のように、柔軟性に欠いた知事批判も目だった。

 「パフォーマンス」と酷評される、知事の特異的な言動には、多くの県民も否定的だ。

 泰阜村への住民票移転問題は、「納めたい自治体に税金を支払いたい」とする主張に地元・飯伊では歓迎する向きの受け止めが見られたが、対象自治体の混乱を招き、議会との関係をさらに悪化させた。

 新党日本の党首就任についても「信州・長野県で変えていることを中央からも変えたい」との思いは十分受け入れられず、県民からは「知事と党首の二束のわらじを履くのは不可能」とする否定的な声が聞かれる。「県民が議会との関係改善を求めるなかで、さらなる悪化の材料をつくってしまった点は、政治家としての資質に欠ける」との意見も聞こえる。

 飯田商工会議所の伊藤篤会長は「知事がしていることは政治ではない。ガバナンス、マネジメントができていない」と指摘する。

 県民が求める歩み寄りの努力は知事と議会のどちらにも見られず、不信任決議から4年間経ても、県民を置きざりにしたままの対立の構図は改善されなかった。

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 この6年間、県民にとって一番身近な政治的問題は、自治体の新たな枠組みを模索する市町村合併だった。

 田中知事の市町村合併に対するスタンスは「自律支援」である。できる限りコスト削減を進め、自立しようと努力する自治体を積極的に応援した。国が県に求めた合併推進の牽引者の役割は引き受けなかった。

 知事は合併特例債を「無駄な箱物づくりを進めるだけの飴」と切り捨て、「合併で巨大な自治体の一地域となって果たして幸せなのか」と疑問を投げかけ続けた。一方で、合併による合理化とは相反する、小規模集落“コモンズ”からはじまる地域づくりを掲げた。

 その「自立」の精神は小規模町村、県民にも浸透し、飯伊でも住民投票などにより合併を回避する自治体があった。

 だが、問題も生じた。清内路村に代表される標準財政規模の小さな自治体は、最大限の縮減努力を進めても先行きが見えない苦境に立たされている。

 県が推し進める人的支援だけでは、立ち行かない。国の求めを拒否し、自立を促した責任を負いつつ、将来に課題を残した形だ。

 6月県会の一般質問、「6年間を総括して反省すべき点は何か」と問われた知事は山口村の越県合併を取り上げた。

 「もっと早くから問題意識を持ち取り組むべきだった。この先、どこかの自治体が他県に行きたいと主張したとき、引き止めることができなかくなる」と地元の意向を受けて押し切った議会を非難した。

 市町村合併が一段落したいま、次なる合理化の焦点は道州制に移っている。飯伊の願いは、長野県の枠組みを抜け出ても、人的にも経済的にも深い関わりを持つ中京圏と一緒になりたいというものだ。

 これについて田中知事は、「南信が北関東ブロックに違和感を抱くのは当然」と理解を示しながらも「文化、交通、経済、地勢的にもゼロから議論し、連邦制も踏まえて考え直す必要がある」と現在進んでいる政府の方針には乗らない構えを示した。

 次なる県政の担い手には、道州制の枠組みづくりについてもリーダーシップの発揮が求められるが、これまで以上に、飯伊の住民が信州に愛着を感じるのは、田中知事の登場に因する部分も大きい。(佐々木崇雅)

シリーズ
「検証!田中県政2006」
■1「財政再建で成果」
■2「市町村との関係」
■3「県民立脚・議会との対立」

製作・著作:南信州新聞社/南信州サイバーニュース