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知事選2006
 田中康夫 50 無現

 武蔵野市生まれ。小2年生から高校まで上田、松本で過ごす。80年「なんとなくクリスタル」で文芸賞。00年から県知事。新党日本代表。一橋大卒、北佐久郡軽井沢町。

第一声要旨
「優しい確かな信州を」
財政再建進め医療福祉に


 脱ダム宣言の理念は、無駄を廃し、税金を公明正大に使うことにある。国が地方を上下の関係の下部に留め置き、中央という一部の人にだけ旨みがあるこの現状を、本県から脱していかなければならない。木製ガードレールのように、地域で出来ることは地域の人々、地域の企業で行い、循環型経済、循環型雇用を生み出す。4年間に進めた小学校の30人規模学級や就学前の乳幼児医療費無料化など本県独自の施策は、財政改革によって遂げた923億円の県債残高削減なくして実現しえなかった。財政再建を図りながら福祉、医療、教育、環境、観光、産業、景観を主体とする公共事業を展開する。水害の被災地では今まさに、コモンズを具現化した消防隊員が必死の救助活動を行っている。人々のために尽くす彼らと、知事として県民のみなさんに奉仕できることを幸せに思う。この山河、この暮らしを育み、未来へと繋げる。220万県民と共に、誰もが誇らしく語れる信州・長野県を、世代を超えた全ての人々に優しい確かな行政を実現させることを誓う。

初日の動き
公務の合間に第一声

 「知事の公務を優先する」としていた田中候補は、県庁内の災害対策本部で前日に引き続いて陣頭指揮をとった。

 ライバル候補が第一声を放った午前9時には、本部内で災害対策会議を開き、各広域に設置した対策室と回線を結んで協議。岡谷市や箕輪町などを中心に発生した水害の情報収集を進め、被災地への職員派遣など、各支援策を決めた。

 第一声は、昼休みのわずかな時間を利用して行った。正午から長野市内の事務所前に立ち、約30分間マイクを握り締めた。

 集まった支持者は50人ほど。演説が進むと町行く人々が足を止めて駆け寄り、演壇に立つ田中氏を囲った市民の数は最終的に約100人まで増えた。

 第一声を終えると、田中氏は短い制限時間の中で一人ひとりと言葉を交わしながら握手。深々と頭を下げると、そそくさと車に乗り込んで公務が待つ県庁へと舞い戻った。午後に予定していた北信での遊説は急きょ取り止め、公務に専念した。

 飯伊の後援会的位置づけの「長野改革」飯伊応援団は、午前9時ごろからポスターの張り付け作業に着手。約100人が担当市町村の掲示板を巡り、雨でも濡れ落ちないようにとシールとびょうの両方で丁寧にとめた。

候補の横顔
 「もう後戻りは許されない」。マニフェストに書き込んだ言葉には、2期6年の歩みに対する自信が溢れる。不信任決議を突きつけられたあの夏から4年、約束の県政改革の現場に立ち、いま再び県民に信を問う。

 作家、論客、市民運動家などさまざまな顔を持ちながら、00年秋に知事選に立候補。閉塞的な県政打破を求める民意が重なり、圧倒的な支持を得て初当選を果たした。

 奇抜な言動でパフォーマンス知事と酷評される一方で、「脱ダム宣言」に象徴される公共事業の見直しを推進。膨れ上がった借金の返済に努めた。福祉医療、教育、環境分野には特に力を入れ、30人規模学級の導入、乳幼児医療費の無料化などを実現させて「優しい確かな行政」を具現化。一期から県民立脚の姿勢を貫き、50回を超えた車座集会では延べ1万5000人とひざを突き合わせた。

 次の約束は「未来の子どもへ借金を先送りしない」「地域で出来ることは地域の企業、人々の力で」「世代を超えた全ての人に優しい行政を実現」の3つ。自律する県民、そして集落“コモンズ”の活力を礎に「誰もが誇らしく語れる、美しく豊かな信州・長野県」を目指す。北佐久郡軽井沢町、50歳。

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