2004年5月20日 >>>戻る

龍の彫刻、瀬川一門の可能性も


瀬川一門の特徴が表れた龍の輪郭

 江戸後期、飯田町本町1丁目(現飯田市本町1)が「飯田お練りまつり」のために作ったとされる本屋台の付属彫刻の一部として見られ、同市上川路の開善寺に保管されていた木彫が、江戸から明治にかけて東海地方を中心に活動した彫り物師、瀬川治助による可能性のあることが18日、国立岐阜工業高等専門学校の水野耕嗣・建築学科教授(62)の調査で分かった。瀬川一門による作品は愛知県を中心に残っているが、長野県内ではこれまで見つかっていない。「形相や目玉にガラスを使っているところに瀬川の特徴が見られる。名がなく確証はないものの、ほかの作品と似た点が多い」としている。

 木彫は1対の龍(各約1・1メートル)と鳳凰(約1・15メートル)、木材はヒノキと見られ、金泥が塗られている。1月、お練りまつりについて調査していた同市美術博物館の学芸員が、文献の中で屋台の装飾彫刻が開善寺に保管されていることを知り、同寺を訪れて確認した。

 文献では、寛政6年に本町1丁目などが諏訪で栄えた立川一門の弟子を招いて屋台に彫刻を加えた、などの記述もあるが、同一門は素木彫りを専門とし、作品の主題に龍や鳳凰はない上、ガラスを使わなかったことから該当する点が少ないという。ただ、作者の記名も収納箱もなく、物的証拠に欠ける。

 瀬川一門は重定、重光、鍋三郎の親子3代にわたる彫物師で、治助を襲名。名古屋・末広町に居を構え、江戸後期から明治にかけて、60台余に上る祭礼山車や建物の彫刻を手掛けた。作品は現在、愛知を中心に岐阜、静岡、三重の4県で確認されている。

 瀬川研究の第一人者の水野教授は、知り合いの研究家を通じて、同館が開いたお練りまつり特別陳列のリーフレットに載っていた彫刻の写真に興味を持ち、今月初め、調査に来飯。半信半疑だったものの、瀬川一門の作と見られる特徴が顕著なことから今回、本格的な調査のために再訪した。

 水野教授は、初代の重定(1781―1850年=推定)が龍を多く彫ったことから、文化・文政年間頃に重定によって作られたと推定。長野県における瀬川作品はこれまで例がなく、「名古屋と飯田はそれほど離れておらず、古くからかかわりがあったと見られる。今後、発注を記録した文書や日記が見つかれば確証できるはず」と見ている。

 同館の桜井弘人学芸員は「祭礼の山車は、経済状況や盛り上がりによってより華やかに、にぎやかにされた。いい情報が入れば、要請して新たに彫刻をはめこんだ可能性も十分考えられる」と話している。

 文献によっては、山車の所有を松尾町3丁目とする説もある。桜井学芸員によると、本町1丁目の説の方が文献に経過が具体的に記されているため有力だという。


「知事は村民」で結論へ
市の国保税ダブル引き上げ
龍の彫刻、瀬川一門の可能性も

製作・著作:南信州新聞社/南信州サイバーニュース