2004年1月1日 >>>戻る
7年ごとに1回
ことしは申年お練祭り




 7年ごと、6年に1度の大宮諏訪神社式年大祭「平成16年申年飯田お練りまつり」が、いよいよ今年3月26、27、28日の3日間にわたり盛大に開催される。今年は巨大な獅子頭が豪快な舞を見せる「東野大獅子」、江戸時代の参勤交代を再現する「本町3丁目大名行列」をはじめ、「諏訪神太鼓保存会」=下諏訪郡下諏訪町=と「心鼓毬。彩(和太鼓)」=高森町吉田=が初参加となる40団体が参加。27、28日の2日間にわたり、飯田市街地を獅子舞や太鼓、踊りなどが多数練り歩き、飯田市街地を盛り上げる。

式念祭

 諏訪神社の祭神は、建御名方命(たてみなかたのみこと)と妃の八坂刀売命(やさかとのみこと)の2柱で、建御名方命は大国主命の子どもで、出雲から信濃ヘ渡り、諏訪を神居と定め、国土を開拓した神様。
 桓武天皇の頃、坂上田村麿が陸奥の蝦夷征伐の途上、諏訪明神へ祈願をこめて奥州路へ下ったところ、神助を得て蝦夷を平定できたのに感謝し、桓武天皇に奉上して諏訪神社の社領を増加。信濃一国に社殿の修造を賦課し、7年目ごとに改造させる制を定めた。これが諏訪を初め当地方で行なわれている「御柱祭」の初めと言われている。
 それに起源して寅(とら)と申(さる)の式年毎に諏訪では式年御柱祭が、飯田では御興渡御(みこしとぎよ)の式年大祭が行なわれるようになった。大宮神社の御興渡御は、大神が信濃の国の統治と発展を心に、しばしば巡見した遺徳を迎いで、飯田の治平と繁栄の現況を神覧に供する意味からと伝えられている。

お練祭り

 大宮諏訪神社の式年祭礼に合わせて行なわれているのが「お練り祭り」で、大勢の人が街に出てねり歩くことから、こう言うようになったと伝えられる。
 大宮諏訪神社は江戸時代に入り、ようやく世相も落ち着く中で、脇坂淡路守が飯田の藩主となり、深く同神社をあがめ社殿を再建して、慶安4年(1651年)に盛大な祭りが行われた。獅子をはじめ笛や鼓を鳴らした舞「田楽」や、三味線に合わせて歌いながら踊る「歌舞音曲」もあり、にぎわい、これがお練りまつりのはじめとなった。
 途中50余年の休止の時期もあったが、正徳5年(1715年)の「ひつじ満水」で知られる大水害が起き、安平路から風越山にかけて大規模な山崩れが起きて、大水が飯田を襲った。住民が大宮神社に集まり、神明様に加護を祈願したところ、大水は松川と野底川に分かれ、飯田の町は泥の海となる難をまぬがれた。
 領民はその神徳をたたえ、享保4年(1719年)、領主にお練りまつりの再開を懇願して祭りを再興。以後、2年ごとに開催していたが、享保19年(1734年)の祭り以降、必ず寅年・申年に行うよう飯田城下町18カ町の申し合わせがなされ、諏訪社本宮に合わせて7年目ごと(6年に1度)に行うようになったとされている。
 祭りは江戸中期以後、飯田町の商い繁盛で契機の良さと町民の神徳に対する尊崇の年とが相まって隆昌の一途をたどったが、その出し物も年代により趣好がこらされた。本町1丁目、番匠町、大横町、伝馬町1、2丁目の本屋台など、黒ため塗りの飛騨の高山にある屋台にも、決してひけをとらないほど立派であった。
 このほか、知久町1丁目の屋台は白木造りのもので、これらは明治になり、電話線や電灯線が市内に張られるようになってから、各町内ごとに取り付けたまま祭りに訪れる見物人を楽しませた。明治からは神仏分離令によって、氏子(現在の氏子32カ町)によるお練りまつりとなったが、18カ町の崇拝の気持ちは変わらず、大正・昭和と続けられた。
 しかし昭和22年(1947年)の飯田大火で多くの祭り屋台が焼失し、また昭和24(49年)年、信教の自由化により祭りも変貌し、江戸期の姿は形を変えて、大名行列や獅子舞が中心となり、近年は伊那谷一円の行事として、その伝統を受け継いでいる。

大名行列

 飯田お練りまつりのメインの出し物の1つに数えられる大名行列は、本町3丁目の出し物。明治5年申年のお練りが初回となる。若州小浜城主、播州姫路城主、奥州仙台城主等の持物を入手したもので、様式は百万石の格式と称せられ、男持薙刀、白車熊槍、富士形槍などは国宝級の逸品である。行列の仕方、所作、芸は往時を継承しており、市街地を練る絢爛豪華な行列は徳川300年の風俗を偲ぶことができる。
 大正8年に東京で挙行された奠都50年祭(市制30周年)に招聘せられて天覧の光栄に浴し、当時の関係者から日本一の折紙付の文化財といわれている。

東野大獅子

 重量30キロの大獅子頭による幌獅子舞。発祥は今からおよそ340年前で、当地の武運と安泰繁栄を願って大宮諏訪神社に加護祈念をしたことに始まり、正徳5年の未満水の翌申年以来に行われるようになったお練りまつりに「東野大獅子」として登場したのは、明治41年(1908年)から。
 日本国の能の原典と言われる宇天王の優美華麗な舞、雄壮豪快な頭、妙技な笛大鼓の調べが三位一体となって織りなす一大絵巻は郷土芸能の圧巻と言える。
 「道中起し」「大門口の舞」「古所望まだかの舞」があり、大獅子を起こして寝かせるまでを舞う獅子舞は全国に例がなく、専門家からは日本一の折紙を付けられている。1998年に開催された長野冬季オリンピックの閉会式に出演し、そのう豪華絢爛な姿を世界中に披露した。

1年間の経緯

 昨年4月に、大宮諏訪神社(市原貴美雄宮司、湯沢廣雄責任総代)と飯田商工会議所(伊藤篤会頭)によるお練りまつりの第1回打ち合せ会議が開催された。市原宮司や湯沢責任総代をはじめ、32の氏子町、商議所職員ら約50人の関係者が出席して、6年に1度、長い伝統と歴史をもとにして開く伊那谷随一の大祭の成功を固く誓い合った。

 5月には同大祭の奉賛会が設立。名誉顧問に田中秀典飯田市長、伊藤同商議所会頭を奉賛会長に据える組織案のほか、予算案、実行委員会準備スケジュールなど計4議案を承認、可決し、早期的な取り組みへの方針を固めた。

 6月、飯田商工会議所の第78回通常議員総会に引き続き、大祭の資金委員会を開催。協賛金の募金方法について、飯田地域を12班に分けて募金活動を実施することを決定。商議所に12ある各部会の部会長を副委員長に据え、12の班を結成。市町村を対象により効率的に募金活動を推進していく考えを示した。

 7月、総務、催し物、交通の各委員会は3日間にわたり順じ1回目の委員会を開き、正副委員長の決定をはじめ業務内容、事業、日程などを確認。

 11月に実施した第2回催し物委員会では、見物客への情報提供の方法に関して、蔵をイメージした高さ3メートル、幅2メートルの看板に市街地の地図を書き込み、10団体程度を目安に携帯で連絡を取り合いながら表示していく方法が提案された。

 また桟敷席設置については、安全上の問題がぬぐいきれず断念。簡易いすの設置に関しても安全面、または道路の混雑、祭りの進行状況などから難しいとの意見が出たが、本部(中央通り1・2丁目間、田中芳男顕彰碑前公園)に連結させた設置ならばと、現在協議中。

 12月は第1回となる出演団体打ち合せ会議を実施。39団体、関係者なども含め約80人が出席。40団体の参加を決定したほか、飯田警察署から警備基本方針などの説明を受けた。

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