2005年6月3日 >>>戻る

母校を夢の“花園”へ

 岡谷工業高校ラグビーの常勝時代を築いた湯沢一道監督(42)がことし4月、飯田高校に着任した。98年の花園出場以来、低迷が続いている同校ラグビー班。母校に戻った湯沢監督を中心に、巻き返しに燃えている。

 飯田市箕瀬出身。飯田高校卒業後は筑波大学に進学、地元に戻って指導者の道を選んだ。ラグビーの楽しさを知ったのは高校時代で、NO8として活躍した。大学時代はプロップとしての実力を買われ、3年からレギュラーを張った。

 大学卒業後、最初の赴任地は飯山照丘高だった。ラグビーの楽しさを伝えようと部の創設に奔走したものの、有志は2人だけ。結局、赴任した4年間は指導する機会に恵まれなかった。

 指導者として開花したのは次の赴任地、岡工だった。それまで県大会6連覇を飾っていた同校ラグビー部の監督を受け継いだ。湯沢体制による“岡工常勝時代”の幕開けだった。

 着任1年目から県大会を制覇。その後、飯田高が躍進した98年大会を除いて、15年間で計14回花園の土を踏んだ。

 岡工は“パワーラグビー”が伝統。全国に出場するには一番の近道だった。短期間で成果が出るのが特徴で、技術的には素人以下の集まりだったが、毎年のように全国トップレベルのパワーラグビーチームまで成長。常勝の引き金となった。

 伝統を築きつつあった同校だが、経験者の入部は毎年数人程度。素質や経験、やる気もない生徒たちを3年間という短い期間に、全国の舞台に立たせるのが、指導者に与えられた命題だった。「好きじゃない生徒はたくさんいたよ。とにかく、生徒たちを辞めさせないために奔走する毎日だった」―。

 「県内の高校で、これまでに誰もチャレンジしようとしなかったチームをつくれそうな気がした」

 飯田高ラグビー班の監督に就いた際、練習風景を見て抱いた印象だ。部員は27人。決して多いとは言えないが、一人ひとりにやる気が見られ、何よりもラグビーが好きな生徒ばかり。経験者も多い。「私がやりたかった、ボールを動かしながらそれぞれで判断できるチームがつくれるかも」と、闘志に火が付いた。

 「個人の判断を積み重ねることで、戦えるチームになる。ボールに食らいつけ」。自然と指導にも熱が入る。湯沢監督から必死に何かを吸収しようとする生徒たちは多く、「体を使って丁寧に教えてくれるため、以前よりも練習内容が濃くなった。気分的だが、花園に一歩近づいた感じがする」(細田佳也・主将)。

 “アタックは水物。ディフェンスは裏切らない”が、湯沢ラグビーの柱だ。10回に2回のロングゲインよりも、10回に8回のショートゲインが戦法の1つ。ローリスク、ローリターンで確実に勝利を呼び込む。「まずはディフェンスを固める。失点を計算できなければ、勝つことは難しいから」と指摘、秋の花園予選に照準を定めて着実に動き出している。

 今週末には県高校総体の準決勝が行われ、飯田は岡工とあたる。「力の差は歴然だが、(飯田は)経験者が多い分だけ技術的な差はない。スタミナをいかして勝機を生み出したい」と、北信越大会出場をかけて古巣・岡工に挑む。

 「これまでやっていたラグビーは、やりたかったラグビーとは違った。ここではそれが出来そうだ」と、笑みをこぼす。「これからは、いいラグビーで勝ちたいね」。
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製作・著作:南信州新聞社/南信州サイバーニュース