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『遠山森林鉄道と山で働いた人々の記録』新刊

B5判104ページ、定価1500円(税込み)
 南信濃村木沢にある道の駅「梨元のていしゃば」から、遠山川を遡って、中根、上須沢、柿の島、大野、北又渡と南アルプスの麓深く分け入る森林鉄道が走っていたことを知る人は少ない。同鉄道は、1940(昭和15)年の着工以来、戦中から戦後にかけて遠山谷の木材搬出の動脈として、遠山谷の経済に大きな影響を与えた。着工当初は帝室林野局、戦後は営林署の官吏のもと森林鉄道沿線の住民の生活の足として活用されていたほか、登山者や釣り人の利用にも応じた。その後、68(昭和43)年12月に営林署は事業を終了、撤退する。
 しかし、営林署の事業が終わった後も、池端林業、与志本林業、信和林業などが、軌道使用料を支払い、村有林からの切り出し、川原の赤石の搬出や砂防ダム工事用の資材搬入のため、73(昭和48)年の夏まで機関車を走らせていた。その後、徐々にレールの撤去作業が進み、最後のレールがはがされたのが翌74(昭和49)年の秋で、撤去作業に使われた営林署のζ79号の車体は客車とともにしらびそ峠に保存された。
 ちょうどその頃、70年代「ディスカバー・ジャパン」ブームが起こった。「失われていく美しい日本」を探して旅に出た鉄道ファンの若者の心を、地域の歴史を背負いながらひっそりと消えようとしている山奥のトロッコの姿が捉えた。70年から73年にかけて、多くの若者が遠山谷を訪れては、汗まみれになり森林鉄道を辿り、カメラのシャッターを切った。…あれから30年の時が流れ、彼も若者とは呼べない世代になった。
 4年ほど前、南信州新聞社の「遠山森林鉄道の写真集を出そう」との誘いに応じた彼らの1人が、かつての仲間に呼びかけた。遠山森林鉄道を撮った同じ青春の「時」を持っている仲間がこれに応じ、またかつての営林署職員や地元関係者の協力、あわせて2000点以上の写真が寄せられた。寺の縁の下から森林鉄道敷設の図面も発見されたり、記録フィルム、開業当初からの写真や資料もが掘り起こされてきた。「手元にある写真を使って」という当初の計画を大きく変更、「鉄道敷設当初からの歴史と地域の人々の暮らしを盛り込んだ写真記録集」というコンセプトで、更に調査と取材、編集に2年を費やし、この程お盆を前に『遠山森林鉄道と山で働いた人々の記録』が出版された。
 『遠山森林鉄道と山で働いた人々の記録』の目次には「最後の森林鉄道」「谷に響く槌音」「河原の貯木場」「山に入る」「神様の棲む谷 北又沢線」「インクラインの作業軌道」「聖のふところ深く 本谷線」「森の役者たち」「営林署のさよなら列車」「トロッコを牽いた牛の話」「運転と制動の話」「川に落ちた機関車の話」「線路際の子どもたち」他、28の項目が並んでいる。どれをとっても心惹かれる写真と記事。そして、その写真や図版総数約180点のほとんどが未発表のもの。さらに35年間にわたって遠山森林鉄道で使用されたほとんどの機関や客車をモーターカー、また3線式のインクライン他、詳細な資料が満載とくれば鉄道ファン垂涎(すいぜん)の1冊であることは疑いない。
 しかしなによりもこの本の特徴になっているのは山で暮らす人々が豊富な写真とともに取材/記録されていることである。「鉄道のモノとしての魅力もさることながら、鉄道が在るのは、そこに暮らす人々の生活や歴史を背負ってある」とする編集者の視点があるからに他ならない。戦中から戦後、今に至る山や鉄道とともにあった暮らしが活写されている。お薦めする由縁である。編集は片岡俊夫、序は斯界で活躍中のいのうえ・こーいちさんが寄せている。B5判104頁、定価1500円(税込み)。発行は南信州新聞社出版局。お求めは、最寄りの書店及び南信濃村役場。南信州新聞社では電話やFAX、Eメール等でも受けつけている。(嶋)